本/逝きし世の面影

『逝きし世の面影』渡辺京二1998

一言メモ:「近代」を問うときの参考書。

ビフォア・アフターという比較の中で、ビフォアの重要性を問う力作。明治以降に日本は西洋化・近代化しました。近代化後にその生活、社会、文化、暮らしの有り様が良いか悪いかを云々する前の、そもそも、江戸までの日本人の暮らしはどうだったのかをまとめています。取材源として、幕末から明治初期にかけて日本に来たアメリカ人やイギリス人などの手記を使っています。

近代化以前の日本の社会は、ある意味では理想的な社会(文明)のように見えた一面があったようです。例えば自然と都市の関係。当時(19世紀末)に、緑豊かな100万人都市は世界的に見て、おそらく江戸くらいしかなかったのではないでしょうか。

17世紀に活躍したフランス人画家クロード・ロランや、オランダの画家ヤン・ファン・ホーイエンなどの風景画のような世界が、趣味の良さとして18世紀にイギリスの資産階級の邸宅づくりに影響していると『美術の物語』(ゴンブリッジp461)にあります。

そうした趣味を持った人たちからすれば、都市全体が理想的な自然美を兼ね備えているように見えたのかもしれません。

一方で、物質的な乏しさから、国と国が単純に武力による力比べをしたら、日本は欧米にはかなわないだろうとも、当時の外国人も認めています。さらに言えば、近代化がもたらす負の側面も意識し、そのアンビバレントな心境(近代化を進める任務への使命感と一種の理想社会を壊すためらいと諦念)を手記から伺うことができます。

抜粋(p262):「個人が共同体のために犠牲になる日本で、各人がまったく幸福で満足しているようにみえることは、驚くべき事実である」と書かざるをえなかった。

 いかに奇妙であろうと、いかに矛盾と思われようと、日本人大衆の顔に浮かぶ紛れもない満足感と幸福感は見誤りようがなかった。