本/自由論 内山節

『自由論: 自然と人間のゆらぎの中で』内山 節 1998

一言メモ:「近代の精神」ともゆうべきものは一体何だったんだろう。今日もなお、「近代の精神」は生き続けているとも言えます。イギリスでは人道的な支援や環境保護、環境啓発などがとても盛んに行われている印象を受けます。実際に国際的なNGOが沢山あります。内山の文章を読むようになってから、そうした活動がなぜ活発なのかについて考えるようになりました。「近代の精神」がさまざまな変化を社会に引き起こしました。時にそれは、生活を豊かにしてくれる変化であった一方で、負の変化もありました。「いいとこ取り」を目指してきた日本の社会もまた、公害や自然破壊、人の疎外や孤立といった問題を避けることはできませんでした。そう考えると、イギリスや欧米社会は、さまざまな種類の社会のほころびの先進国なのかもしれません。内山の文章は「近代の精神」そのものもまた、試しに疑ってみる対象であろうということを示唆しています。



抜粋(p266):精神の自由とは、何にもとらわれることなく、自由にものごとを認識していく精神のことであろう。ところが、このような精神を身につけようとすると、あらゆることに対して、懐疑的でありつづけなければならないだろう。

 論理的に考察することが「正しい」方法だとしてきた近代的な思考方法も例外ではない。なぜなら、論理的な思考も、・・・