メモ10月4日/「人と人の関係性ほか」「時代の変化」
2026年10月4日の哲学対話で選出された2つのテーマは「人と人の関係性ほか」「時代の変化」だった。
初参加の1名を含め、参加者数14名だった割には、2つとも発言者が限られた。
会の終わりの振り返りで、各人が短い発言をする中で、「文明は滅びる。文化は残る」という発言が印象的だった。2つのテーマを合わせて、この一言がその輪郭を俯瞰的に捉えているように思った。
2つテーマに通底しているのはIT技術や生成AIを、自分の生活の中でどう受け止めるかという不安心理だと思う。利便性とは裏腹に、社会問題の病巣にもなっている。そうした意識がありながら、問題解決をよそに、利便性を享受する。あるいは、それなしには成り立たない社会の仕組みに迎合せざるを得ない。
「人と人の関係性ほか」をテーマアップした人も、まだ十分に整理できていないままのようだった。対話の感触からすると「他者」と「他者との関係」について、引っかかる部分について、考えたいのではなかったかと思う。
本人が最初の発言で口にした「人権」というキーワードがそれを理解する補助線となった。
基本的人権はある条件を満たしたグループに属する人たちだけが享受できるものだ。それが18世紀のフランスでは参政権を持つ人、つまり裕福な白人の男性だけが対象だった。そのグループに入る条件を緩和する努力が今現在も続いていると考えると分かりやすい。
それと並行して、生成AIを「新たな人格」として受け止めるような風潮が出てきている。
AIの助言は本当に正しいのか?仮に「正しい」場合にそれは誰にとって「正しい」のか?問題の核心には、生成AIは誰の意図に従って作られているのか?という問題がある。
伝統的な人権意識であれ、生成AIであれ、提案者の意識にあるのは「他者」とは誰か?ということだったと思う。コピー用紙に大きな2つの円「A」と「B」を、相互が部分的に重なるように描いてみると「他者」を整理しやすい。ある特定のグループは他者を定義することによっても、規定することができる。
参加者から「自分と違う(価値観の)人と出合うと不快なことが多い」という実体験からの発言があった。それでも、交流し続けていればお互いに通じるものが出来上がって来る。その人が子どもの頃、養護施設が近所にあり、その施設の人たちとの交流関係が出来上がった後、そうした関係性に違和を唱える人が増え、結局その施設はあまり人のいない集落へ引っ越すことになった。と、他者をまるごと包摂することの難しさ、あるいは、時代の経過とともにそれが難しくなるように、社会が変質したことを指摘した。
他者とは、自分と異質な人を端的に表す。上述の「A」「B」が重なる「A+B」の部分は、共通の趣味やペット、時には翻訳ソフトを使って、「楽しみ」として享受できる。しかし、重ならない部分が、相互に敵対し、迷惑だと感じる場合はどうするか。お釈迦様なら「相手の幸せを願う」らしいが、現実には距離を保つほかないだろう。云々と対話は、あっちへこっちへと、輪郭を掴めぬまま時間切れとなった。
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2つ目のテーマ「時代の変化」は、そのまま、変化を追いつつ、変化の核心を射抜けぬままという感じだった。前半のテーマから出てきた「他者」=「情報」と置き換えると、結局同じ議論を別の角度から見ていたと言えるかもしれない。
メディア、経済、オリンピック、出産、浅間山荘事件、沖縄返還、高市政権、など意見はまさに変化を追いかけるような様子だった。
変化とは逆に、「変化しないもの」「変化させられないもの」という視点から「資本主義」についての発言もあった。
そして、時間切れとなった。
最後の振り返りの発言を聴いて、あと30分あったら、一息つけるような場所に辿り着けたかもしれないと思った。
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